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坂本さんは色鮮やかな煙みたいな人だと思う。遠くから見てもしっかり形が捉えられるのに、近付いて触れようとすると途端に手がすり抜けてしまうのだ。

幕末生47回、最後の最後に度肝を抜かれる話題が取り上げられた。それまでの内容もだいぶ濃かったが、この件が幕末ラジオ史上最も衝撃的な暴露ではなかっただろうか。おずおずと「私の知ってるあのときの名前と、違うんじゃない?と」と尋ねる西郷さんの、訝しむような、心配するような声色が珍しかった。

西郷さんが「表札が聞き覚えのない…」「婿養子とか?」と訊いていたことを考慮すると、おそらく姓が(も?)変更されていると考えられる。また二人の会話の雰囲気から察するに、ここ数年の話ではないように感じる。改名について軽く調べてみたところ、姓は名よりも変更が難しいという。親御さんの再婚等の事情も思い当たるが、仮にそうだとしてあんなに説明を渋るのは不自然だ。すると偽名を使っている線もありえてくる。しかしそれなら、家庭裁判所の話はどういうことなのだろう。これもブラフだろうか?改名をしていたとしたら、一体なぜ?なんのために?

坂本さんのことだから何もかも全て嘘なのかもしれない。あまりにも演出されすぎていて、箱庭の中のドラマを眺めている気分になってしまう。つくづくこの人は、周囲の注目を集める天才だと思う。配信前半では、高校時代の友人が現在有名なタレントになっていると漏らしていた。坂本さんに他人を惹きつける才能があるからこそ、彼の周りにはそういう人も集っていたのだろうかと感じた。

坂本さんという人、そして彼の人生はエキサイティングだ。今までのラジオを聴いていると、坂本さんは結婚に向いていないような印象を受ける。というか、たった一人から与えられる愛だけで満足するような人ではないと思うのだ。ゲーム『キリザキ君は。』をプレイしても同じようなことを感じた。学生時代の坂本さんがモデルとなる主人公『キリザキ君』は、クラスメイトから認められる自分になろうとして「変わり者」の仮面を被る。彼は社会的に肯定されてこなかったため、側にいるモリ子の好意を受け入れることが出来ない。自分を好きになれないキリザキ君は、誰かを好きになることができないのだ。だからモリ子から向けられる愛情よりも、不特定多数の承認を求め続けたまま生きている。

だからこそ坂本さんは今、実況をしているのではないだろうか。誰か一人を愛し、愛され、慎ましい家庭で幸せに生きるより、波瀾万丈な人生を見世物にしている方が坂本さんらしいのではないかと思ってしまう。そんな彼なら、実況を続ける為に名前を変えることなんて厭わないのかもしれない。

けれど本当に改名していたとして、なぜ西郷さんに伝えなかったのだろう。同47回でペラペラと自虐的な発言をする坂本さんに「また一人だけ悪者に!」と笑いながら小声で言っていた西郷さんは、坂本さんのことを本当によく分かっているんだろうと思わせられる。時々すごく子供っぽいけど、やはり坂本さんの無二の親友なだけある、優しい人だ。この件を訊いていた際も、「いいんですよ、変えていても変えていなくても…」と受け入れようとしたり、「果たして君の前にいる男は、君が昔から知っている男か?」と誤魔化そうとする坂本さんに「確かに同じ人間とは思うんですけど」と食い下がろうとする素直な人なのだ。こんな相方に隠し事をするなんて、騙すような気持ちにならなかったのだろうか。いや、隠すつもりは無かったのかもしれない。表札を変えていたというのだから。しかし西郷さんが踏み込まなかったからこそ、敢えては打ち明けなかったのだろうか。

坂本さんにとって、名前はそこまで大切じゃなかったのかもしれない。けれど、西郷さんは教えて欲しかったのかもしれない。二人は凡ゆることをひっくるめて、互いの距離をはかり、長年付き合いを続けてきたのだろう。すごく男友達らしい関係だと思う。

坂本さんが口にするすべてが嘘でも真実でもどうだって良いのだ。彼は自分自身を演出する術に長けている。このクレイジーな男の過激な人生を、一人でも多くの人に知ってほしい。大衆に取り囲まれ、持て囃されて生きていくべきだと思う。もう普通の人生なんて、彼には、幕末志士には似合わないと思うから。