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 初めて視聴した蘭たんの個人動画はどうぶつの森で、案の定私は「初見バイバイ」されたクチであった。

 第一印象として、蘭たんは変人だと思った。明確にそう捉えたのは、ナポリの男たちの夜会初回の配信時である。

 夜会には、ゆとり組の一人であるしんすけさんがゲストとして招かれていた。しんすけさんは、ゲーム実況ジャンルの創世記から蘭たんと絶妙な距離感を保ちつつ(その関係性を象徴するような動画として「見る男」シリーズがある。蘭たんの実況動画をさらにしんすけさんが実況するという、当時としても非常に奇抜な内容となっている)活動を続けてきた、グループ実況の礎を築いた人物だ。

 その夜会の場で、蘭たんは「好きな実況者なんていない。みんな俺の真似してるわ、って思っちゃうから。」と、いけしゃあしゃあと言ってのけた。別におかしな話ではないのかもしれない。何故なら彼はゲーム実況の祖、「ゲーム実況」という言葉を使用した最初の人だと言われているからである(諸説あるらしいが)。

 しかしとにかく彼からは、歯に衣着せぬ発言といい物怖じしない態度といい、どこか満ちた自信が感じられた。だから変わり者に見えたのだろう、と思う。蘭たんは一つのエンタメコンテンツを打ち立てた人間だ。0から1を生み出せる人間は、きっと人並みから逸脱した感受性を持ち合わせているのだろうと。

 

 けれど、ナポリのチャンネル配信を視聴するようになってから、徐々にその印象は変化していった。蘭たんは私が想像したような自信家でもワンマンでもなかったのだ。

 初めに大きく覆された印象は、蘭たんの他人への着眼点だ。彼を見続けていると、メンバー3人と視聴者に非常によく意識を向けているな、と感じるようになった。常々その場面を把握することに長けている。要は空気が読めるというやつだ。

 チャンネル開設前の配信を聴いていたときから、話し上手な印象はあった。「あんね、」から口を開き、視聴者を引き込む話を押し付けがましくなく繰り広げる。またその分聞き上手でもあった。小気味良い相槌とリアクションを返しながら、時には彼特有の一癖ある価値観で話に切り込んでいく。それは初期のぎこちないナポリを盛り上げるため、そして現在では十分に仲良くなったナポリをより円滑に動かすための、人を見ることに優れた蘭たんの立ち回りなのだろう。

 だから自信家のように見えていた一面も、僅か10代半ばでネット活動を始めた彼なりの処世術だったのかもしれない。(実際配信にて本人は「実況を始めた当時は子どもだと思われたくなかった」という趣旨の発言をしている)。最近では、図太いというよりもむしろ繊細なタイプなのだろうと思う。ゲーム内に限らず、人の関係性や感情の機微をよく読み取るからだ。あの明け透けにも思える発言の数々は、その上に成り立っているように見える。

 そんな彼だからこそ、グループ全体のプロデュースも上手い。毎年末には蘭たんが他3人の曲を用意し歌わせる企画が行われる。視聴者からこう見られているだろう、という目線を確実に取り入れた曲作りは、蘭たんの客観性の強さがよく窺える。彼は指揮を取らせたら本当に器用にこなす。私は、ナポリの男たちというグループは蘭たんワントップ型のフォーメーションだなあと感じることがしばしばある。彼がグループの方針を固め、他3人がそれを上手く遂行し支えている。ナポリをカレーに例えるなら、蘭たんはカレー粉だ。彼らがシチューでもなく、肉じゃがでもなく、カレーとなりうる理由こそがきっと蘭たんなのだ。

 

 次いで、蘭たん個人の特徴として挙げられるのが、その実況歴の長さから来る実況スタイルの多様性だ。シリーズを時系列順に追っていくとその遍歴を垣間見ることができる(本人曰く、思春期からゲーム実況を始めた為、実際の人格形成の過程が動画にも影響していただろうとのこと)。

 今よりも比較的アウトローな振る舞いがインターネット上で許容されていた2008年代(当時の蘭たんは高校生)は、彼の自由奔放な面が強く現れていた時期だったろう。そこから近年になるにつれ徐々に、キャラクターに共感する、涙ぐむなど、蘭たんの情緒的な側面が見られるようになってきた。

 さらにここ数年の蘭たんの実況は、主人公と己の人格を切り離しつつ、まるでその場を一緒に過ごしているかのような没入型を取ることが多い。

 個人的に初めてその兆しを見たシーンは、moonシリーズの最終パートだ。蘭たんは、未知の宇宙にひとり飛び立つ主人公に「淋しいね、ランたん。」と声を掛ける。私はこの一言を受けて、彼が今までずっと主人公キャラクター「ランたん」の側にいたことを強く実感するのだ。

 蘭たんの代表作として「FF15」「龍が如く7」など、怒涛の展開や人間ドラマが繰り広げられるシリーズがある。そこでどんなに悲惨な生い立ちや孤独な境遇に置かれたキャラクターが登場しても、蘭たんはまるで彼らに寄り添うかのようにプレイを進める。2020年に投稿されたシリーズ『ゆめにっき』のラストでは、澄んだ空を仰ぎながら主人公に「おつかれ」と言葉を掛け、屋上から飛び降りる少女を見届けた。本来なら凄惨なはずの結末だが、蘭たんの考察やメッセージに、ゆめにっきをプレイしたことのある視聴者もそうでない視聴者も、僅かに救いを得たのではないだろうか。

 蘭たんの実況はリリカルである。視聴者は、ゲームの登場人物の悩みや辛さを自身と重ね合わせ追体験する。そんな中での蘭たんの選択、キャラクターに向ける言葉のひとつひとつが、あたかも画面越しの自分へのもののように思える瞬間がある。きっと誰かはそれにわくわくしたり、誰かは勇気付けられたり、はたまた救われたりするんだろう。私はこれが実況者としての蘭たんの、いちばんに秀でた特別な魅力だと思っている。蘭たんの放つ飾らない言葉は、多くの視聴者の心を動かしている。

 

 2021年の7月28日で、蘭たんは実況14年目を迎える。そして同時に意味するのは、「ゲーム実況」というジャンルそのものも14周年を迎えるということだ。いつか蘭たんの記念日を祝えなくなる時が来たとしても、7月28日は大きな意義を持ち続ける。今やすっかり市民権を得たコンテンツはかつて、蘭たんが作り出した小さな箱庭から始まったのだ。

 彼は凄く偉大なことを成して来たと思うが、最近の活動振りを見ていると、良い意味でそんなことは微塵も感じさせない。とき謙虚に堅実に、けれどいつまでも飄々と憎まれ口を叩き、最古参ながらも精力的に界隈を盛り上げ続けてくれる蘭たんは、本当にキャッチーなクリエイターだ。私は、ゲーム実況の礎を築いたのが彼で良かった、と心から感じている。

 いつかのすぎるさんが会員放送にて言っていた、『良い実況動画を撮っている人物は良い実況者であってほしい』という言葉(岡崎体育さんの楽曲『エクレア』の歌詞になぞらえた発言であった)。それを私は、蘭たんの動画を視聴しているときによく思い出す。蘭たん、貴方はまったくもって良い実況者だなあ、と思いながら。