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日記

 コーヒーを飲もうとしたとき、しばしばドリッパーを使用するのを忘れて、紙フィルターのみで淹れてしまうことがある。

 横からその光景を見ていた母に「本当にガサツな女だよね」と鼻で笑われた。が、私としてはその自覚がない。というのも、そういう場面では大抵ドリッパーの存在を忘れ去っているだけなのである。『コーヒーを淹れる際にドリッパーを使う』という選択肢がまるで出てこない。なんならお湯を注いでいる最中に紙フィルターがズレはじめ、コレ安定しないな…なんかおかしいぞ…と考えている瞬間ですら、頭の中にドリッパーは思い浮かんでいないのだ。

 また私は、物心ついた頃から現在まで、服のボタンを外す際に片手しか使わない。すごく外しづらい構造のボタンがあったとして、1分ほど片手で格闘したのち、ふと「両手を使えばいいのか」と気付く。これについても、いつか母から「横着するな」と怒られたことがある。しかしドリッパーと同様、横着している気は全くない。『両手でボタンを外す』という発想がないのだ。ちなみに、上記を母親に説明してもあまり理解が得られたことはない。

 芋づる式に思い出してきたが、アルバイト時代も似たような思いを抱いたことがある。仕事でミスをしたとき、店長から「業務に慣れてきて気が抜けるのはわかるけど…」というお叱りを受けたのだ。当時の私は、「いやいや、怠慢ではなく、そもそも真面目に取り組んでいながら注意欠陥のケがあるんだが」と腑に落ちなかったのだった。これに関してはもう少しまともに反省してもよかったな、と今となって思っている。

 

 そんなわけで、今回も母親に言い分を聞いてもらおうとしたのだが「サルのほうがまだ頭がいい」と言われてしまった。まあ私もそう思う。大学時代、授業で『サルは木の実や果物を砕く際、土台の石が安定しなさそうだと感じたら取り替えることができる(物事の推測ができる)』という話を聞いた。普通に私より頭良いな。

 ちなみに母親にもその話をしたら「サルは生きる為に考えてる。カラスだって頭を使って、クルミを車に轢かせたりする。あんたは生きる上で生じる障害を取り払おうという工夫や努力をする気がない。結局人生の苦労が足りてないんだ」と言われた。言い争いをしているとだんだんと論点がズレていくのはいつものことである。なので「もっと苦労したら、コーヒードリッパーも忘れずに使えるようになる?」と訊ねたところ、そのとき母は「なる」と断言したのだった。