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 大学時代、友達と新宿や池袋で夜通し遊んで、始発の電車で帰路につくのが最高な休日の過ごし方だった。平日、日が昇る頃に駅にいるのはスーツや制服を着た人たちばかりで、私はこれから帰って泥のように眠るんだぞという優越感に浸りながらホームを闊歩した。

 そして、満ち足りた気分になりながら電車内で幕末志士の配信を聴く。楽しい1日の締めくくりは、二人の笑い声で飾った。そのときの幸せな気分はいつまでも覚えていて、きっとこういう気持ちを味わいたくて生きているんだなとさえ思った。

 というように気付けば幕末志士は人生の思い出に結び付いていて、何かにつけふと彼らを思い返したりする。こんな風に毎週二人の配信を聴いて、動画がアップされるのを楽しんで…という日々がいつまでも続くと思っていた。

 

 

 西郷さんが幕末志士の卒業を考えていると発表してから実質の活動休止となるまでには、長い期間を要さなかった。

 皮切りは配信延期謝罪と銘打って行われた4月26日の全体公開放送。西郷さん本人の口から、活動に負担を感じていることが語られた。

 その後すぐに設けられた会員放送枠(坂本さんソロ)では、坂本さんの複雑な心境が視聴者に吐露され、その3日後には今後の活動予定についての報告と、坂本さんの黒歴史人生の振り返り(?)が行われた。

 そして来たる5月2日、YouTubeでの最後のゲーム配信と、これまでの思い出を語る「幕末生」で活動の幕は閉じられたのであった。

 

 こうして、視聴者に与えられた心の準備期間はわずか1週間足らず。衝撃と心配と寂しさと、どうしてこんな結末になってしまうんだという、不条理に対する怒りに近い思いが代わる代わる押し寄せた。

 しかし一点、私が1年間ほど抱いていた違和感の理由もここにきて判明したのだ。

 2019年3月、坂本さんの活動休止宣言に伴って裏方に徹していたMさん(ゲームクリエイター)が代打として放送に出演した。それからというもの徐々にクリエイター陣が登場する回は増えていった。排他的な幕末志士が第三者をこうも交えて配信していることに少々引っ掛かりはあったものの、長年活動していればスタンスは変わるものだろうと思ったし、これ自体は裏話も聞くことができて新鮮だった。

 ところがいっときから西郷さんが放送に出る回数が減少し始めた。というのも、坂本さんソロ配信の回数が増えたのだ。坂本さん+ゲスト(クリエイター陣)という組み合わせもあった。何故だろうと思っている矢先の年末に、坂本さんから「西郷さんが体調不良である」との報告があり、その場はおさめられた。しかし結局はこれも嘘で、西郷さんは既に当時から活動に対してナーバスになっていたという。

 というように私は(認めたくない部分もあったが)彼らが何かをごまかしながら、騙し騙し活動していることに薄々勘付いていた。だからこそ今回の件は現実味を増して重くのしかかったのだ。

 

 最期の配信を迎えるまでは不安だった。終わりへのカウントダウンは怖い。さらに26日の配信を受けて内心、裏切られたような心持ちになっていた。幕末志士は何も変わらない、という身勝手な信念を持っていたからだ。本当にただのエゴなのだが、それを打ち砕かれたような気がしていた。

 Twitterのタイムラインが盛り上がっていたことも、かえって悲しさを煽られた。特別な日になんてしないでほしい。有終の美なんていらないし、高額のスパチャなんて達成しなくていい。何も変わらず、何も終わらずにいてくれればそれで良いのに、と。

 

 そんな中で遂に5月2日は迎えられた。二人は軽口を叩きながら、いつも通りに大笑いしてゲームをする。西郷さんは「活動にプレッシャーはありつつも、ゲームをしている時間は本当に楽しかった」と述べていた。それは本音だったのだろうか、と今となっては思う。ただの一視聴者がおこがましい、厚かましい望みなのだが、どうか本音でありますようにと願わずにいられない。

 そして配信終盤に差し掛かった坂本さんが一言、言い切った。「仕事仲間だったらリタイアさせるよ。でも友達だったら、疲れて動けなくなったらさ、担いで行くべ普通!」と。そのとき、自分の心配が杞憂であったのだと恥じた。二人の方向性がすれ違ったのではと思っていたからだ。

 今回の件で西郷さんは「卒業」というワードを使ったが、坂本さんは「いつかはわからないけど戻ってくるだろう」との見解を述べていたこと、些細な差異だが気に掛かっていた。加えて坂本さんは幕末志士を支えるクリエイター陣に対し雇用主のような立場である。幕末志士の活動がもはや業務のような作業になっていて、その点で西郷さんとズレが生じたのではないかとも考えた。

 けれど坂本さんのこの一言の意義は大きく、視聴者の不安を掻き消すには充分だったと思う。その後流された西郷さんが坂本さんに伝えたいメッセージを吹き込んだという録音音声も、まるで昔話を朗読しているようで笑ってしまった。それを聴いて恥ずかしいと言って大騒ぎする坂本さんと、げらげら笑う西郷さん。この瞬間の二人は、紛れもなくこれまでと変わらない幕末志士そのもので、きっとお互いのことを思い遣っていたんだろう。

 

 実際にはこれまで楽しいことばかりじゃなかったはずだ。辞めた後も、活動関連の後処理、ドワンゴとの清算、お抱えクリエイター陣への善後策、私生活等で対応に追われるのではないか。でも配信の場では一切そんなことは匂わせない。

 これは一番大切な考えとしてここに書くのだが、私は幕末志士を浮世離れした陽気な人達だと思っていた。しかし実態はそんなことはないのだ。きっと彼らは笑ってばかりじゃないし、ゲームばかりでも、常に仲良しでいるわけでもない普通の人達だ。でも二人が凄いのは、視聴者にそう見せ続けられるところじゃないだろうか。いわゆる仲良し営業とか言ったらそれまでかもしれないが、そういう強みを自負して、配信を通したときに楽しさや嬉しさだけを伝えられる技術を確かに持っているのだ。

 幕末志士はやっぱり幕末志士だった。彼らは最後の最後に希望を残して去って行った。もしかしたら結構なけなしだったのかもしれない。けれどそれでも、勝手な理想を抱いていた視聴者に応えてくれた。歩く道こそ別れど、幕末志士が別れることはないと。

 私は彼らを通して自分自身の生き方の理想を見ていたと思う。結婚とか仕事とかを人生の中心に据えなくたって、楽しく生きていけるということを信じたかった。

 だから、こんな時にも私たちに世界が優しいと教えてくれたのが何よりも嬉しかったし、有り難かった。大人になっても友情は素晴らしいものだし、子供みたいにゲームに夢中になっていい。大人だって好きなことをし続けていいし、それを1番幸せだと感じてもいいと。私が信じていたことを信じ通させたまま、幕末志士は舞台から降りて行った。

 

 土曜日の夜、幕末志士チャンネルの配信枠は確保されなくなった。二人の新たな笑い声が聴けることもなくなった。それは相変わらず寂しい。視聴者すら置き去りにする排他的な会話や、負の感情一切を寄せ付けないような笑い声。坂本さんと西郷さんがゲームをして笑い合うとき、あの瞬間、あの空間に悲しいことや辛いことや苦しいことは何にもなかった。それが心地良くて、私は幕末志士のことが大好きだったから。

 

 最後に。余談になるが韓国語で「花道だけを歩こう」という言い回しがある。これは『これからは辛い思いをすることなく、良い出来事だけ起こりますように』という祈りの言葉だ。この「花道」という単語の華やかな印象が、どことなく幕末志士に似合うなあと思っていた。だから幕末志士が道を分かつとも、彼らの進む道が花道でありますようにと願っていたい。

 沢山の元気と笑顔を届けてくれたこと、本当にどれだけ感謝の言葉を述べても言い尽くせない。長年の活動お疲れ様でした。またどこかでお会いしましょう。いつか帰ってくると信じて、その時までさようなら、幕末志士!お元気で。